理想の教育制度とそれをとりまく環境について。

雑談

日本の教育はおかしいとか世界と比べると遅れているとか、教育については様々な意見が取りざたされている。これは人によってまたは新聞社や雑誌などの媒体によって内容が大きく異なるため、もはやどうすべきなのかなんて誰もわかりはしないんだと思う。

それでも現在が完璧な教育制度になっているなんて誰も思っていない。僕も個人的にいくつか思うところがある。もっともそれは制度とゆうか日本社会に蔓延る謎の常識といったほうがいいかもしれない。

例えば大学についてだ。

大学全入時代と言われて久しいが、日本には聞いたこともないような謎の大学がわんさかある。

大学入学希望者と日本全国の大学の定員数を比べてみたらわかるが、どこでもいいんだったら本当に誰でも大学に入れるような数なのだ。

僕が最も不愉快なのは、皆が高校を出たらすぐに大学に入り、新卒で企業に就職するのが当然だとゆう風潮だ。

事実上大学は就職するための最低条件とみなされ、大卒資格は就職資格とみなされている。

しかしはっきり言って、大学に行くなら高校を出てすぐに入るのが当たり前なのは日本だけだ。

英語圏の国を例にとってみると、大学入学時の平均年齢は22歳。大学院は30歳となっている。

これが意味することが分かるだろうか。

つまりこれらの国では、就学と就労の垣根がないとゆうことだ。

出てしばらく働き、お金をためたり学問に興味が湧いた段階で大学に入ることが当然の選択肢としてあり得る。

大学をでたらまた働き、しばらくしたら大学院に進むなんてこともできる。

日本でも制度上はもちろん可能だ。大学入学に年齢制限はない。

しかしこの国では、25歳で大学生とか30代で大学院生とかいうと、「いい年して」とゆう評判がつく。

全く意味不明である。

いい年して学生。

何かを学ぶのに年齢が関係あるのだろうか。

こうゆう人達は思考が停止していて、物事を深く考えようとしない。

つまらない仕事を日々こなし、安い給料にも関わらず毎日頑張ることが美徳だと思っていて、状況を改善するためには労働よりむしろ思考がひつようなのだとゆうっことがわかっていない。

だから毎日がつまらなくても自分は頑張っているのだとゆうふうに自分を言い聞かせているのだ。毎日がつまらないのは自分のせいなのにも関わらず。

英語圏の国を代表とする西洋の国々では、50代や60代の学生がたくさんいる。

彼らの目的はもちろん学問をすることだ。勉強し、自分の周りの環境やコミュニティ、ひいては自分たちの国をより良くするために学んでいると胸を張っている。

日本では、ほとんどの人間が学問をするために大学に行くのではない。それが当たり前だから行くのだ。

大学生はいかに多くの学問を修めるかではなく、いかにして楽に単位を修得するかに四年間腐心することになる。

大学を出ると学ぶことを辞め、無思考で労働し続ける。

しかし本来はまったく逆であるべきだと僕は思う。

社会に出て、自分に何が足りないかを実感した時こそ学問をするべきだし、社会は学問を修めたものを何歳になっても拒むべきではない。

新卒で就職して一つの企業で一生を終えるのも悪くはないが、就業と就労を途切れることのない流れとして受け入れることのできる社会こそこれからは必要なのではないかと最近思う。